おづきのウルトラ雑記ブログ!!

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陸上自衛隊時代に、新隊員教育隊に入ったら、元フランス外人部隊出身の、「ウルトラ屈強班長」に出会った話。【すばらしき自衛隊生活vol.1】

 

どうも、ウルトラこんにちは!! おづきです!!

 

今回は、自衛隊時代に会った、超屈強な班長の話をしたいかと思います。

 

まあ、そんなこんなで(どんなこんなだ?)

とにかく、おづきは陸上自衛隊出身です。

 

あれは、26歳のころ。

新隊員教育隊で、地獄の日々を食らいながらも、まあ何とかたくましく生活していた時期でした。

 

陸上自衛隊、あの世界は独特でした。

おづきは良い経験をさせていただいたのかな?

 

と、感謝しておりまするするww

26歳という若さだったからこそ、体力的にも精神的にも、何とかなったのかもしれませんね。

 

なので、40代に突入しても未だ身体は太くならず(一か月に一回ぐらいは必ず走っていますが)細身ながらも、まだまだ健康体!!

 

ケガや病気はありますけど、たまーになるぐらい。

健康な身体って、本当に重要ですよん。

 

で、入隊すると、どこに配属されるかというと、新隊員教育隊というところに、配属されるわけです。

 

配属先で、前期、後期としっかり半年間教育されて、部隊に所属するという流れになるわけです。

 

班長も個性がキラリと光る人達ばかりでした。

班長の役割でもある、班付の人もいるわけなんですねー。

 

そして、区隊の中でも、元フランス外人部隊出身の班長がいました。

 

直属の上司ではなかったのですが、

おづきの印象としては、背が高い、細身、日焼けしている、温和な雰囲気。

 

記憶はうっすらですが、年齢は38歳位で、3年前に自衛隊に入ったという方でした。

 

屈強でありながらも、優しそうな雰囲気。

只者ではないのですが、以前はメチャクチャゴツかったらしいです。

 

ゴツすぎて、持久力が少ないと感じたのか、メチャクチャ走りまくって、身体を絞ったそう。

 

で、当時の身体つきになったそうだ。

その話を聞いたおづきは、こう思います。

 

どこかの役者さんなのでしょうか?

役者さんも、身体をその役に合わせて絞ったり、太ったりするわけじゃないですか。

 

まあ、そんな人と関われるのも、また自衛隊の良いところなのではないでしょうか?

 

一番初めての、シゴキ(まあ、色々とやらかすごとに、夜勤筋トレが待っています)のとき、すぐさま腕立て伏せを、しなければいけないのです。

 

上に言われれば、全員同時に腕立て伏せの姿勢を「いっち、にっ」と叫びつつ、する訳なんですが、、、、

 

ひとーつ!!

と、隊長に言われて腕立て伏せの姿勢のまま、腕を折り曲げるも、その長さは異常です。

 

ずっと腕を折り曲げたままなので、腕が震えます。

当時ひょろひょろだった、おづきもです。

 

曲げたままの状態で、尽きてしまう同期もいたり。

こういう時は、同期同士で全員で励まし合うわけなんですが、1分以上経ってもなかなか2に進まない。

 

全員同時に出来ない限りは進まない、理不尽システムなわけです。

 

その中で、その班長も腕立て伏せの姿勢をし始めます。

 

猛烈にひたすら、新隊員の為の見本かというぐらいに物凄いスピードで腕立て伏せをするわけなんです。

 

テレビ番組のサスケなんかよりも腕立て伏せのスピードが早い!!

かつ、持続力もあるわけなんです。

 

私含めて、同期たちも、「ス、スゲェ、、、、」としか言えませんでしたね。

 

腕立て伏せ、終わったあとでも、まだ腕立て伏せをやっていたみたいです。

屈強とは、正にこのことですね。

 

後ほど、色々と他の同期たちが、その班長の発言がイヤでも同期たちの口コミで流れてきます。

 

「体力があったからこそ、生き残れた」

や、

自衛隊はお遊びみたいなもんだ」

 

など、元フランス外人部隊班長がおっしゃる言葉だからこそ深みがある。

自衛隊内では、よくも悪くも時間がある時は、口コミでのやり取りの場合は拡大されて伝わってしまうものが、セオリーです。

 

口よりも身体を動かせ!!

みたいな世界で生きてきた人であるのは、オーラが物語っています。

 

そんな噂話の中で、なぜその班長フランス外人部隊を辞めた理由が分かりました。

 

どんなに屈強でも、年齢にはかなわないことと、その給料でした。

手取りなのか、よく覚えていなかったのですが、約40万ぐらいだそう。

 

命をかけているのに、40万。

あなたはこの給料を、低いと感じますか? 高いと感じますか?

 

低いとおづきは思いますし、当時同期たちとの会話でも「低い」と感じている人が殆どだったのではないかと記憶しております。

 

命がけで戦っているのに、40万。

つらいですね。

自衛隊に来るわけですね、今考えても納得してしまいます。

 

自衛隊ですと、総合すると大学初任給クラスみたいなのですが、

この時のおづきは考えもしませんでした。

 

むしろ、安いと思っていた。

よくよく考えると、そうなんですよね。

 

住む場所、食堂、銭湯。

全部ほぼほぼタダみたいなものです。

 

現在の私の生活ですと、

家賃+水道+光熱費+電気代

 

約55000+3000+7000+5000=70000円な訳で。

15万(公務員初任給平均)だとして、そこから70000を引けば、、、、。

約8万で生活しなければいけない。

 

が、自衛隊の場合は、一部手当をプラスされてもそこまでして変化はしません。

昔の明細書を引っ張り出さないと覚えていないんですが、総じてそのまま手取りになるということは言っておかなければなりません。

 

つまり、生活費をそこまでして引かれなければ良いのですが、当時のいた中隊では「転勤」が多かったのです。

 

転勤が多いということは、飲み会が多い。

飲み会が多いということは、自腹で飲み会に出なければいけない。

 

1年半ほど中隊に所属していましたが、飲み会は10回以上あったような気がします。(新年会、忘年会も含む)

 

話しが逸れてしまいましたが、前期は本当に独特な人と会っていたよなぁっていう思い出でした。

 

フランス外人部隊にいた班長の屈強ぶりや、海自→陸自(とある問題を起こしてしまって)に移ってきた陸士長もいましたからね。

 

自衛隊に興味がある人も、一回は体験してみも良いかもしれませんよ?

向いている人は向いている。

 

おづきは、向いていなかった。

なぜならば、夜中に寝れるようなことがなかった。

 

ストレスなのか、2時とか3時とかになってしまうと勝手に身体が起きてしまって、もう一度眠ろうとしても寝れない。

 

どっかで、たたき起こされるんじゃないかという恐怖が真相心理の中で起きていたかもしれません。

 

当時いた中隊は、人事のために解散されてしまって。

新隊員教育隊にいた班長も今やどこで何をしているのかも不明。

 

「一期一会」という意味を込めて自衛隊内では、敬礼を行いますが、

今でも活躍されている自衛隊さんに「敬礼」ですね。

 

まとまりのない文章でしたが、本日はここまで!!

グラッチェディオス!!